初等解析学 (微分積分学) 入門 §1

2018/6/16
@tk

§1 はじめに

ここでは通常大学 (理工系) 初年度で学習するような、現代数学の初歩となる初等解析学、所謂微分積分学について解説をしてみたいと思います。

数理ファイナンスや金融工学においては様々な数学的理論が用いられますが、その基礎となるのはやはり現代の基礎数学と言える「微分積分」と「線形代数」です。例えば標準的 (古典的) なポートフォリオ理論において、投資対象となる金融資産のリスク・リターンの構造をベクトルや行列で表すのが普通であり、それらに対する「適切な (最適な) 投資比率」を決定するために解析学における様々な道具を活用する事が出来ます。更には、Black–Scholes の公式で有名な金融派生商品 (デリバティブ) の価格付け理論においては確率解析 (確率過程論) という理論が本質的に使われているのですが、その全ての基礎にあるのが初等解析学と言えます1

微分積分学という名称で呼ばれる位ですので、そこで論じられる対象は「微分」と「積分」が主となります。しかし、高校数学でも微分や積分は既に (多かれ少なかれ) 扱われていると思います。現代数学における (初等的な) 微分や積分もそれらと本質的に異なる事は何ら変わりありません。それにも関わらず、大学において (特に理系の学生が) 触れる数学とは高校数学とは大きく印象が異なり、人によってはとても取っ付きにくく感じるかもしれません (逆に「これまでモヤモヤしていたところがスッキリ分かった!」と感じる人もいるかもしれません)。以下、高校の微分積分と現代数学の初等解析学の関係について見ていきたいと思います。

 

微分とは?

高校数学において、関数 における微分 2とは以下のように定義されるものでした。 あるいは同値ですが または直観的に、 とは「-平面における、 が定める曲線 (グラフ) の における傾き」と定義されていたかもしれません。

上の定義式においては「極限」という概念が登場します。 とは「 を限りなく に近付けた時に が限りなく近付く値」を意味します。後にきちんと述べますが、もし で連続ならば、これは そのものです。しかし、上式に出て来る (面倒なので と表す事にします) は において連続ではありません。それどころか、 となってしまい、値を求める事すら出来ません (正確に言えば、 において定義されていません)。そこで、「 の値」ではなく「 に限りなく近付く時の の収束先 (どこに近付くのか)」を考える事になります。

それでは、「限りなく近付く」とは厳密にはどういう事を意味しているのでしょうか?高校数学では理解のしやすさのために、「極限」という概念に関する数学的に厳密な定義は扱われていませんでした。寧ろ、上で述べたように、例えば微分のイメージを「グラフの傾き」として直観的に把握する事が重要とされています。しかし、高度な数学を使おうとしたり、あるいはそもそも数学を研究しようとしたりする際には、「極限」等の数学的な概念に対して論理的に明確な定義を与えておかなければ、何となく「限りなく近付く」だけでは話を進める事が出来なくなってしまうかもしれません。また、数学的に不明瞭な定義の下で計算を進めると、計算の方法によって答えが変わってしまうようなおかしな状況が生じてしまうかもしれません3。「グラフに描いた時の傾き」というのは、イメージを掴む上ではとても大切な考え方ですが、これだけでは数学的に厳密な定義を与えられません4

 

積分とは?

今度は関数 の積分を考えてみます5。高校で習う積分には不定積分と定積分があり、

  • の不定積分 (原始関数) とは、 を満たす関数、即ち「微分すると に戻る関数」の事
  • の定積分とは不定積分の差で表される値の事、即ち を実数として

と定義されていたと思います6。ここで不定積分 に対して一意には定まらず、 の原始関数ならば任意の定数 に対して も原始関数となるのですが、定積分の定義において とは違う を採用したとしても となるので定積分の値に影響はありません。

上の様に不定積分を定義する時の問題点としては「不定積分は本当に存在するのか?」という事が挙げられます。より具体的には「どのような関数 に対して不定積分が存在するのか?」という問題です。微分の場合は、極限の意味の厳密さはともかくとして、とにかく「 が収束していれば微分は出来る」と言う事が出来ました。しかし、「全くあての無いところから となる を見つけてくる」というのは一般には大変です。

実は上の問の答えは次の微分積分学の基本定理から得る事が出来ます。

 定理. (連続な) 関数 に対して次が成り立つ.

脚注 1. にもある通り、 は「 で微分する」という事を表す記号です。定理の主張を一言で説明すれば「 を積分して微分すれば に戻る」という事です。この定理を使って原始関数を構成する事が出来ます。つまり、(各 に対して 上の定積分が定義出来れば7) として の原始関数 (の一つ) を得る事が出来る、というわけです。

しかしこれではまだ問題は解決していません。何故ならば、上の定義に従えば定積分とは「不定積分の差」なので、不定積分の構成に定積分を使い、その不定積分を使って定積分を定義する…というのは何とも循環論法のようなお話になってしまいます。

ところで、定積分 を「-平面において 軸上の区間 のグラフで囲まれた図形の面積」として与える事も考えられます。 特に、この図形の面積を「十分大きな自然数 を取り、幅が であるような短冊状の長方形 の面積を について足し合わせたもの」の を無限に大きくした時の極限として与える事も出来ます (所謂「区分求積法」)。即ち、区間 上の定積分が として与えられる、という事です。という事は、これを定積分の定義として採用してしまえば、上記のような循環論法的な状況を回避して積分を定義する事が出来そうです。

実は、この「区分求積法によって定積分を定義する」というやり方は Riemann 積分 (法) と呼ばれ8、大学で最初に学ぶ積分法となっています。上の式を見ればお分かりの通り、ここでも極限の概念が登場します。

 

極限とは?

詰まるところ、大学での初等解析学とは「高校数学で曖昧になっていた『極限』について数学的に厳密に扱う」という点が重要となり、その際に登場するのが所謂イプシロン・デルタ論法です9。例えば、数列 に収束する、即ち であるとは以下が成り立つ事を意味します。

任意の実数 に対してある自然数 が存在して、任意の整数 に対して ならば .

日本語を用いないで数式のみで書くと次のようになります。

, , , .

この定義を初めて見て「なるほど、非常に分かりやすい」と感じた人は今すぐ数学者を目指すべきでしょう。普通は、これの意味を理解するまでにそれなりの時間を要すると思います (慣れればごく自然な定義に見えるようになります)。

高校数学で扱うような具体的な数列や初等関数の収束性を調べるためには、直観的な「限りなく近付く」という理解だけでも問題があまり生じないかもしれません。例えば、 は、言い換えると「 に限りなく近付く時に に限りなく近付く」という事なので、至極当然と言えます (「無限大とは何か」はともかくとして)。また同様に、 も、「 の分母が限りなく大きくなっていく」という状況からすると自明であると感じられます (現代数学においては上の極限の定義に従って証明をする必要がありますが)。それでは、次の極限は如何でしょうか? 高校数学の教科書では、上の極限は有限値として存在し、その極限値を と定義する、と書かれている事が多いようです。 は Napier 数と呼ばれ、代数方程式の解としては得られない無理数 (超越数) として知られており、また様々な分野の数学においてとても重要な役割を担っています (上の極限についてはまた後の機会に詳しく扱いたいと思います)。しかし、 を限りなく大きくしていった ( に近づけていった)時に、果たして は大きくなるのか小さくなるのか、はたまた振動するのか、収束するのか発散するのか…は数式を眺めているだけではなかなか分からないのではないかと思います。「数列 が収束する」という事実は一体どのようにして証明されるのでしょうか?その背後には、現代数学において一般に前提とされている「実数の公理」が潜んでいます。

さて次に、数列 を満たす時、果たして は収束するでしょうか? が十分大きい時に に近付くので、非常に大雑把に言って、分子は を大きくするに連れて に近い値ばかりをたくさん足し上げる事になります。すると何となく、足した数だけ割っている事からすると に近い値に収束するような気がしなくもないと思うのですが、直観的にはなかなかすっきりと結論付けられないのではないかと思います10。実は上の式に出てくる分数は Cesàro 平均と呼ばれ、この極限を求める事はイプシロン・デルタ論法の練習としてちょうど良い問題となっています。

上でいくつか例を見てみたように、極限の概念について数学的に厳密な定義を与えておかないと、単に「限りなく近付く」という曖昧な理解だけでは証明出来ない性質がいくつもあります。それらについて「何故正しいのか」を理解するためにも、イプシロン・デルタ論法のような論証の方法を体得する事は現代数学を学ぶ上で最初の課題であり関門であると言えます11

 

そもそも数とは、証明とは…

微分や積分を正しく定義するために、極限の概念を数学的に厳密に与える必要がある、というお話をしてきました。そうやって突き詰めて考えていくと、そもそも数学的に厳密に考えるとはどういう事か?数とは何か?証明するとはどういう事か?等々、種々の疑問が頭をもたげるかもしれません。

例えば、「実数とは何か」という事を考えた時に、数直線なる概念を持ち出して幾何学的に理解する、というのが初等数学における方法の一つです。しかしこれはやはり直観的な理解に過ぎず、また「実際の実数全体に対応するような数直線」というものを現実に構成する事は出来ません (紙に真っ直ぐな線を引こうとしてみたところで真に「真っ直ぐ」な線は引けませんし、またそもそも離散的な原子や分子の集まりでしかありません)。更に言えば、そもそも「自然数全体からなる集合」とはどのように定義されるものなのでしょうか?

また、数学的証明の技法として、高校数学でも「背理法」や「数学的帰納法」というものが取り上げられています。背理法とは「A である」という事を示すために「A でないと仮定して矛盾を導く」という方法の事です。一方、数学的帰納法とは「任意の自然数 に対して である」という事を示すために

  • は正しい
  • (任意の に対して) が正しいならば も正しい

という二つの主張を示す事によって、「 が正しいのだから も正しい、だから も正しい、だから も正しい…」といった具合に全ての に対して が真である事を示す、という方法です。 しかし、「A でないならば矛盾が生じる」事から本当に「A である」と結論付けて良いのでしょうか?また、「… も正しい、だから も正しい… も… も…」と次々と論証を進めていったところで、「無限に存在する全ての に対して が正しい」等という主張を本当に示した事になるのでしょうか?

これらのような、数学の根本を対象とした研究分野として数理論理学や数学基礎論、超数学 (メタ数学) 等が知られています。数学を展開させるためには、まず「論証を行うためのルール」をいくつか定めなければなりません。そのようなルール (仮定・前提) の事を公理と呼び、現代数学は事前に与えられたいくつかの公理からなる公理系の下で展開されています。そのような公理の一つに「排中律」と呼ばれるものがあります。実は、背理法が正しい事を示すためにはこの排中律を公理として取り入れなければなりません。そして、世の中には排中律を認めない論理体系も存在します (直観主義論理)12。一方、自然数全体という概念を定義するための公理系として「ペアノの公理」と呼ばれるものがあり、これの下では数学的帰納法が正しい事が保証されます。

 

この講座を通して目指すものは…

この講座では、皆様に少しでも現代数学の考え方をご理解いただくために、初等解析学を学ぶ上でキモとなるであろう話題をいくつか (出来るだけ網羅的に) 取り上げて解説をしていきたいと考えています。

しかし、上で述べたように、数学の根幹に関する部分について掘り下げていくと非常に豊富な話題と出会えるのですが、一方でこの部分に拘泥しているとなかなか微分積分の本論に入る事が出来ません13

実は、現代の数学においては公理系 ZFC と呼ばれるものを前提とする事が多いのです。ZFC とは Zermelo–Fraenkel による集合論の公理系 ZF に選択公理と呼ばれる (ZF とは独立の) 公理を加えたものであり14、この枠組の中では集合を用いて自然数を自然に定義する事が出来、また実数に相当する概念も自然に構築する事が出来ます15。背理法も数学的帰納法も、いずれも我々の感覚通り問題無く使う事が出来ます。

そこで我々も公理系 ZFC を前提とし、「所謂普通の数学的な証明が可能となる枠組」において、(自然数や実数等の厳密な定義・構成に拘る事無く) 微分積分学を展開していきたいと思います。幸いにも、最近は数理論理学等の入門的なドキュメントをインターネット上で多数見つける事が出来るようですので、関心をお持ちの方はそちらを調べていただくという事とさせていただき、我々はこれ以上深入りせずに解析学の解説を進めていきます。本来であれば、数学の理論というのはフルスクラッチでゼロから構築するのが望ましいのですが、我々は「実数までは知っていて、高校数学における数学的な議論の方法は理解している」という段階から始めて微分や積分の理論を構築していこう、という立場を取ります。

本講座をお目にした方々が少しでも現代数学 (及びその応用の一つである数理ファイナンス) に興味を持っていただければ幸いです。

※ 本講座で使用する数学記号 (notation) についてはこちらをご参照下さい。


  1. 別の機会に改めて触れたいと思いますが、デリバティブの価格は多くの場合「微分方程式によって記述される原資産価格」に対するある関数 (ペイオフ) の「積分」によって決定されます。但しここで出て来る「微分」や「積分」は、大学一年レベルの初等解析におけるそれらとは少し異なります。
  2. とも書きます。これは Leibniz の記法と呼ばれるものであり、「 割る 」では無いのですが、場面によってはあたかも分数の様に扱う事が出来る便利な記法です。一方で のような書き方は Lagrange の記法と呼ばれます。微分の記法には他にもいくつか種類がありますが、その場に応じて使いやすいものを採用します (どれを使っても意味に違いはありません)。
  3. 学生時代の筆者の体験談でもあります。
  4. 現代数学の立場からすると、どちらかと言うと「傾き」とは微分を用いて定義される概念となります。
  5. ここでは ではなく単に と書いてみました。厳密には、 とは「関数 における値」を意味するので、関数自体を呼ぶ時には “” を付けない方が本当は正確です。
  6. 高校数学の学習指導要領はしばしば大きく変更となるので (特に 1990 年代頃を境に大きく変わっているようです)、世代によって「積分とは何か」に関する理解が異なるかもしれません。
  7. 便宜上 としていますが左端は でなくとも構いません。
  8. 厳密にはもう少し複雑であり、 のあらゆる分割の仕方を考えたり、長方形の取り方をより慎重に考えたりしなければならないのですが、それでも 上で連続であればいつでも Riemann 積分 を定義する事が出来ます。
  9. のようなタイプの極限を扱う際にはイプシロン・エヌ論法と呼ばれる事もあります。
  10. インターネットで調べてみると「直感的に納得しやすい」といった記載も見つかりますので、単に筆者の直観力が不足しているだけかもしれません。
  11. なお筆者の経験上、Cesàro 平均が第一の関門であるとすれば、第二の関門は上極限・下極限の理解です。
  12. 排中律を認めなくとも「A であると矛盾が生じるならば A でない」は真です。これが何故「A でないと矛盾が生じるならば A である (背理法)」と異なるからというと、直観主義論理においては「A でないという事はない (二重否定)」が必ずしも「A である」事を意味しないからです。
  13. 厳密な数学の体系をまとめるために書かれた、数学者集団 Bourbaki による『数学原論』を頭から読み進めていった場合、微分の定義を目にするまでに 15 冊を読み終えなければならないようです。
  14. 勿論、選択公理を認めない公理系 ZF のまま数学を展開する事も出来ます。その場合、数学において重要とされているいくつかの定理が証明不能となってしまいます。一方で、選択公理を認める事で、例えば Banach–Tarski のパラドックスのような「直観的に考えて何かがおかしいように感じられる定理」が正しい命題として証明されてしまう事にもなります。
  15. 「集合を用いて数を定義する」というと少しおかしく感じるかもしれませんが、要するに「自然数が満たすべき性質を満たすもの」「実数が満たすべき性質を満たすもの」が構築出来たならば、それらを「自然数」「実数」と呼んで普通の数として扱っても何ら問題は生じない、という事です。

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